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わたしのブログ

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続きです。

ある日、老虎難に様子を見に行ってくることにした。奥さんは、足腰を冷やすと色々な病気が出ると言って腰巻を二枚締めてくれた。どこから持ってきたのか知らないけれど「これを着て」と学生服を差し出すじゃないか。その上に市電色の茶色いオーバーもくれた。多分旦那のものだろう。有難い事である。「気をつけてね。」と送り出してくれたので一ヶ月ぶりに外に出た。食い物もよい成果体調はすこぶるよい。聖徳街の表通りを通ってみると街灯で日本人満人たちがいろいろなものを売っていた。タンム帽をかぶって饅頭のようなものを売っていた十八くらいの娘さんが「おじさん、かってょ。」と言うので買ってやりながら食べていると日の娘さんが「おじさん、なにやってるの」と菊ので「何をやろうかと思っているところだょ。」「ラジオが修理が出来ればうちの兄さんと一緒に出来るんじゃない。」と言い出した。良く聞いてみると、隊レン放送局の技術課にいたのだが月給が出なくなったので満人と組んでらじお屋を始めたそうだ。「ラジオくらいできるょ。」と言うとこの娘さんは美代子と言うそうで「家に着て見ないか。」と誘ってくれた。「私も一緒に行きます。無と言うので連れ立っていった。
 ちょうどお兄さんがうちにいた熊谷さんという人で「満人の持っているラジオは皆に並四ですょ。」「レフレックスの再生か?」と聞くと、「そうです。かたやまさん一緒にやりましょう。今、宗と言う中国人と話し合いをしているのだが中々の親父で、金を出すのを渋って居て、四、五日待っていてください。」・・・・話は決まった。「オーイ。美代ちゃん。よい人に出会ったね。話しきまったょ。」と言うと「あら、良かった。話はしてみるもんね。私も放送局に勤めていたの、宗はそのときの小使よ。」私にすれば遼陽で共産軍に捕まったときついたウソが本当になった。満人街の真ん中、王陽街でラジオ屋を始めた。


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